インタビュー

この記事はKTC神戸大学工学振興会No83先輩万歳「横井寛氏E①に聞く」に掲載されたものです。
<インタビュアー:湯口 裕(E⑫)・宇野 健一(E⑫)>

横井先輩は1930年の香川県生まれ。工学部電気工学科の第一回卒業生で、専攻課程修了後KDD (現KDDI)に入社し、研究所時代に衛星通信用大口径アンテナに関する研究で工学博士(東工大)を取得されています。その後も衛星通信関連のアンテナと電波伝搬の研究で多くの成果を上げられ、また本社の伝送部長などのほか大阪支社長も務め、さらに新発足した国際コミュニケーション基金の専務理事としてその基礎を作られました。

 この間、神戸大、京都大、玉川大などの大学院で非常勤講師を兼務、KDD退職後は防衛大学校教授としてご活躍。また65歳で防衛大学校を定年退官された後も75歳まで東京電機大で非常勤講師を務められました。一方、学会活動としては、電子情報通信学会編集幹事、同アンテナ伝播研究専門委員会委員長、電波研究連絡委員会幹事、国内URSI(注1)-F委員会委員長などを務められました。

 このほか、趣味とはいうものの、画家、文人としても活躍し、また「 短 檠 」と名 付けたブログhttp://yokokuwan. blogspot.comを通じてご自身の絵画やエッセイ、著書の紹介、社会評論なども発信しておられます。
 横井先輩は技術と文化の両面で優れた才能を発揮され、楽しみながら人生を送っておられる人生の先達と言えるでしょう。そんな横井先輩に神戸大学東京六甲クラブでお話を伺いました。

1)大学時代について
 教養課程は旧制姫路高校の学舎でした。当時の工学部は西代に電気、機械、工業化学が、また鷹取に建築と土木の各学科があり、前者は焼け跡に建てられた木造のバラック建築、後者は工業学校の校舎を譲り受けたものでした。当時は冷暖房の施設などなく、冬はオーバーを着たまま講義を受け、またノートを取るために時々手をこすり合わせたのを思い出します。

2)衛星通信の研究について
  1963年11月23日に行われた日米初の衛星通信実験では、たまたま、ケネディ大統領暗殺のニュースが伝えられて大変驚かされましたが、この実験成功が翌年の衛星による初の東京オリンピック世界中継へつながったのです。
 これらの実験当初、ホーンリフレクター、バラボラ、カセグレンといった三種三様の大口径地球局アンテナが米、英、日で作られました。このとき、日本のカセグレンアンテナは所定の利得が出ていないのではないかと問題にされ、その解明に苦労しました。そして中高度衛星からの電波を基準アンテナと同時受信して地球局アンテナの利得を求めるとか、電波星電波を受信しながらその一次放射器の位置を 衛星通信地球局アンテナ大きく動かすなど、創意工夫を凝らして利得改善を図り、世界初の “円錐ホーン励振によるニアフィールドカセグレンアンテナ” を実現しました。

 また、この実験によって確立された「電波星からの電波受信で地球局アンテナの利得を測定する方法」は世界の標準測定法となり、前島賞(注2)の受賞となりました。このアンテナはその後、コルゲートホーンとか誘電体装荷ホーン、鏡面修正の新技術などが取り入れられ、世界最高の地球局アンテナとして日本のメーカから各国に輸出されると共に、電波天文の観測用としても野辺山や臼田で使用されました。

 このほか、横井先輩は衛星通信における大気減衰と降雨減衰についても多くの研究をされました。郵政省電波技術諮問委員会委員として審議に参画するとともに国際無線通信諮問委員会にも日本代表として度々出席され、ここで、先に述べた衛星通信用地球局に関する研究と衛星通信関連の電波の研究結果が新レポート作成に大きく反映され、日本ITU(注3)協会賞も受賞されました。さらにその後、衛星通信や地上通信に使用される開口面アンテナとして最高の性能をもつオフセットグレゴリアンアンテナの開発で科学技術庁長官賞「功労賞」や紫綬褒章も受彰されました。

3)中国との国交回復後における衛星通信の技術指導
 中国政府の郵電部や大連海運学院(現在の海事大学)などからの依頼で度々、衛星通信技術の講演をされ、1987年に同大学から名誉教授の称号を受けられました。また国際コミュニケーション基金におられた頃、日中双方の学者で多方面から情報社会を展望する公開討論会を1989年の5月に北京で開催しました。その時の論文は「情報社会への道」―日・中の学者が語る理想と現実―として、日本ではオーム社、中国では新時代出版社からそれぞれ出版されています。
彩游(120号、防衛大幹部食堂前に)
4)画家としての横井先輩
 お父様が日本画の絵師であった影響もあり、趣味として早くから日本画を描かれていました。その一枚(120号)が防衛大の幹部食堂前に飾られています。

5)文人としての横井先輩
 共著である何冊かの専門書のほか、単行本として「宇宙通信よもやま話」(裳華房)、趣味で四国遍路をした時の紀行文「準・歩き遍路のすすめ」(講談社のα新書)、特攻隊の生き残りであった兄の遺稿をまとめた「五分間の決断」(特殊潜航艇・蛟龍612号艇)横井順一の手記(美巧社)、また郷土史を新しい視点で調べた「西行と崇徳上皇、その後の静御前」(美巧社)、「伝承・静御前」(文芸社の文庫本)などを出版されています。
学生時代の仲間と

6)同期の仲間
 (横井先輩によると)最近は毎年、東京に集まっています。関西からも来てくれます。紅一点の高橋さんを交えて楽しい会話が弾みます。学生時代の写真は少ないのですが、これは六甲の奥池に遊びに行った時のもので、向かって前列左端が横井先輩です。

7)後輩に一言 楽しみながら人生を送る秘訣は?
 歳を取っても人生の悩みや迷いは絶えませんが、楽しみながらの人生とは… “皆様に感謝しながら日々を送る” ということではないでないでしょうか?

8)インタビューを終えて
 素晴らしい先輩にお会いできて嬉しかった、すがすがしい気持ちになったというのが実感です。今の私たち日本人に欠けている大和心、武士道の精神を持って生きておられ、85歳とはとても思えない若さを感じました。KTC機関誌にもどしどし投稿いただくことを期待しています。
宇野、横井先輩、湯口
 なお、KTC、竹水会にて大変お世話になった高原先輩は横井先輩と同期の仲間、この2月に逝去されたことは残念です。電気工学科第一回生の諸先輩には平島さん始め、まだまだ私たちに力を貸して下さる方が多くおられます。どうぞ健康に気をつけられてこれからも我々をご指導ください。

(注1) URSI:国際電波科学連合
(注2) 前島賞:(公財)通信文化協会が、逓信事業の創始者前島密の功績を記念して、
   情報通信及び放送の進歩発展に著しい功績のあった人に贈呈している。
(注3) ITU:国際電気通信連合